今日もアジアのかたすみで

 私たちは、すぐに国家観や、歴史観で他者と相いれなくなってしまうことがあります。何でもすぐに国家観や、歴史観に原因があるのではないかと思ってしまうところがあります。何がより正しい歴史観なのか、何がより優れた国家観なのかを、過分に競ってしまうところがあります。

 しかし、人が幸福であるためには、必ずしも壮大な国家観や深遠な歴史観は必要ではありません。それどころか、その壮大なはずの国家観や歴史観が、どれほど多くの人々の幸福と祈りを、そして、絆を踏みにじってきたことでしょうか。

 学問が、しばしば、知の卓越性や完成度を競い、排他的となり、党派性に凝り固まり、ついには人権と人道を見失った時代がありました。多くの心身に痛みを深く刻み続けることによって、それは、今も続いています。

 今日もアジアのかたすみで、人権人道活動家がその痛みに応えようとしています。

 その現場の一つ一つを知ることから、考えることを初めなければなりません。

 人権人道を学問的に探究するのではなく、アジアの人権人道の現場から学問の在り方を根本から再考することが、この学会の目的です。