マリップ・センブ報告 フルテキスト

ビルマが現在かかえる問題とその解決のために―日本に期待する役割

マリップ・センブ

1.はじめに

 私は、ビルマ出身の少数民族・カチン民族で、17年前に政治的理由でビルマから亡命し、日本に来ました。その後、日本政府から在留特別許可を頂き、現在東京で暮らしています。日本では、母国ビルマ民主化のための活動や、カチン民族をはじめとした少数民族の権利保護にかかわる活動を続けています。
 本日、このような場において、各方面の専門家の皆様の前でビルマについてお話する機会を頂き、大変嬉しく、光栄に思います。今日は、「ビルマが現在かかえる問題とその解決のために」というタイトルで、私自身の経験をもとに、私が日本の国、日本人の皆様に期待し、お願いしたいと思うことについてお話させていただきます。
 まず初めに、ビルマの国の概要を簡単に紹介いたします。その後、現在ビルマのかかえる多くの問題の中から、特に3つの点にしぼってお話いたします。最後に、これらの問題点をふまえた上で、それらの問題の解決のために日本、日本人の皆様ができること、ご協力をお願いしたいことについて、私の経験に基づいた考えをお話したいと思います。

2.ビルマの概要―歴史的・政治的背景

(1)イギリス支配以前のビルマ―多民族の共生

 1824年に英緬戦争が始まり、イギリスが現在のビルマの一部を植民地化するまでは、現在のビルマの国土にあたる部分では、カチン、チン、ビルマなどという多くの民族が、それぞれの地域において独立した国を作り、自由に暮らしていました。イギリスが植民地としてビルマを支配する以前は、多民族がそれぞれの地域で国を作り共存しており、「ビルマ」というのはそのような多数の民族のうちのひとつでした。

(2)イギリス・日本による支配から独立まで

 その後も、19世紀末までイギリスはビルマとの戦争を繰り返し、1886年には、ビルマの全土がイギリスの植民地となりました。これと同時に、イギリスはそれまで各民族が自治をしていた地域もすべて「ビルマ」というひとつの国の下に組み入れ、植民地支配を行うようになりました。このときから、それまでは民族のひとつの名前にすぎなかった「ビルマ」という名称がこの地域全体を指す言葉となり、現在のビルマの国土の基礎となりました。
 そして、1942年から1945年までの日本による支配、その後2年間のイギリス再植民地を経て、1948年、ビルマはイギリスから主権を回復し、「ビルマ連邦」という国名で独立しました。

(3)ビルマの独立―パンロン協定と連邦の誕生

 このビルマ独立の基礎となったのが、前年1947年に結ばれたパンロン協定です。アウン・サン・スー・チー女史の父であるアウン・サン将軍と、カチン民族、シャン民族、チン民族の代表たちがシャン州にあるパンロンという場所で協定を結び、少数民族自治権を尊重しつつビルマ連邦国家とするという合意がなされました。同年6月からはパンロン協定の内容を実現する憲法を作るために制憲会議が始まりましたが、その翌月に、アウン・サン将軍と閣僚の計7人が暗殺されてしまいました。
 この暗殺により、パンロン協定でうたわれた「各民族の一定の自治を認めた連邦制」という内容は、後でお話するとおり、現在まで実現されないままとなり、現在のようなビルマ族による政治権力の独占へとつながっていきました。

(4)ビルマ社会主義時代から88年のクーデター―軍中心の政治へ

 その後、1962年に、ネ・ウィン将軍がクーデターを起こし政権を奪い、議長となりました。政府は、企業を国有化し、「ビルマ社会主義」の政策を実施しました。この時から政治は軍主導で行われることとなり、学生運動の非合法化など、民主的な運動は弾圧されるようになりました。そして、欠点はありつつも一応の議会制民主主義を定めていた48年憲法も停止されました。
 1988年、軍中心の政府の下で経済が著しく悪化し、生活が困窮していた国民の怒りが爆発し、大規模な民主化デモが起こりました。ヤンゴン大学の学生によるデモからはじまり、民主化を要求するデモは全国的な民主化運動へと発展しました。しかし、デモ発生の翌月、ビルマ国軍は再びクーデターを起こし、武力でこのデモを鎮圧し、ビルマは完全な軍事政権となりました。国軍は1990年に行われた総選挙の結果も無視し、現在にいたるまで政権を独占し続けています。

(5)2007年のデモと2008年の憲法草案


 高騰する物価に耐えかねた国民の怒りが爆発し、2007年8月、1988年の民主化デモ以来となる大規模なデモが起こりましたが、このときもビルマ国軍は武力を用いてこれを鎮圧しました。一般市民のみならず、多くの僧侶も逮捕・投獄されました。日本人ジャーナリストの長井健司さんも、ビルマ軍による暴力の犠牲になりました。
 その翌年の2008年、軍事政権は、軍の関与を強く残した新憲法草案に対する賛否を問う国民投票を実施しました。しかし、この国民投票は、軍による脅迫や反対者の逮捕などを伴う著しく不公正なもので、国民の意思を公正に反映したものとは全く言えませんでした。このような不公正な国民投票の結果、新憲法草案は国民の「賛成」を得たとされ、2010年にはこの憲法に基づいた総選挙が行われる予定になっています。しかし、この新憲法は、国会議員の一定数を軍関係者が占めるように規定しており、また、アウン・サン・スー・チー女史をはじめとした民主化勢力を政権から排除するような内容になっており、2010年の総選挙によってもビルマ政府が民主的なものに変わるとは全く期待できません。

3.現在ビルマが抱える問題―3つの大きな「対立」

(1)民族問題―ビルマ族中心の支配と少数民族

 ビルマの問題というと、軍事政権による民主化勢力への弾圧のみが注目されがちですが、現在ビルマの抱える問題はそれだけではありません。本日は、私がとくに重要だと考える、「ビルマの抱える3つの対立」についてお話ししたいと思います。
 第一の問題点は、ビルマ政府による少数民族への迫害、民族浄化です。1947年のアウン・サン将軍らの暗殺により、パンロン協定でうたわれた「各民族の一定の自治を認めた連邦制」という内容は現在まで実現されないままとなっています。48年にビルマはイギリスからの独立を勝ち取りましたが、この年に起草された憲法には、様々な問題点がありました。最大の問題点は、非常に中央集権的で、民族の多様性を無視し、多数派民族のビルマ族が政治の中心となるような偏った内容だった点です。国会議員の議席数の配分はビルマ族に有利なように大きく偏ったものでした。その結果、ビルマ族「中心」よりもむしろ「支配」に近い大きな政治的権力をビルマ族が独占することになりました。しかも、この48年憲法も、62年のクーデターにより停止され、さらに少数民族への迫害が進みました。
 ビルマ政府は、現在に至るまで、少数民族ビルマ化政策を進めています。少数民族の言語での教育を禁止し、少数民族の多くが信仰するキリスト教イスラム教などの他の宗教に対する迫害をしています。少数民族の村では、キリスト教の教会を焼き討ちし、その跡地に仏教のパゴダを建てたり、牧師を逮捕するなどの迫害が行われています。また、ビルマ軍による少数民族女性へのレイプが後を絶たず、しかも、そのような犯罪が法律で裁かれることなく野放しにされています。また、少数民族女性と結婚したビルマ軍兵士に対して特別の手当を与えるなどの方法により、混血を進めようとしています。このようにビルマ軍は、現在も、少数民族を様々な方法により迫害し、いずれは消し去ろうと、「直接的・間接的な民族浄化」を行っています。このような少数民族に対する人権侵害は、人権状態の悪いビルマにおいても特に深刻です。
 また、少数民族の多くは、このようなビルマ軍の政策から自分たちの権利と存在を守るため、武力を用いて闘ってきました。各地で内戦が起き、政情が不安定になりました。1990年代に多くの少数民族グループがビルマ軍と停戦協定を結びましたが、これにより治安が良くなったどころか、むしろ悪化しました。それまでは少数民族軍に守られて一応の治安が保たれていた地域に、停戦後はビルマ軍が入り、略奪やレイプなど好き勝手にふるまうようになったためです。

(2)軍による独占―軍関係者による独占・特権と一般市民

 第二の問題点として、軍とその関係者が、政治のみならず、経済や生活の様々な点においてあらゆる特権を持ち、その他の一般市民との間に大きな不平等が生じています。
 ビルマでは、生活のあらゆる面で軍が影響力を持っているため、軍と何らかの関係をもたずに生活することはとても困難です。たとえば、ヤンゴン市内で一般市民が日常生活に欠かせない日用品や食品を買う市場や店の多くは、軍とのコネを持ったエリート層が所有しています。コネを持たない一般の市民は、このような人々に場所を明け渡すよう迫られ、狭い小道で細々と商売をすることを強いられています。政府や軍とコネを持つ有力者により何も話し合いもなしに土地を突然没収されることもあります。補償は何も支払われません。
 また、カチン州のような山岳地帯では、軍とコネのある有力者により違法な森林伐採が広く行われています。チークなどの貴重な木材やヒスイなどの宝石を含めて、多くの天然資源が違法に取られ、中国などに違法に売られています。このようなビジネスは軍とのコネがあるため取り締まられることはありません。一方で、貧しい地元の人々は、何の恩恵も受けておらず、乱開発による環境破壊の被害者となっているのみです。同様に、カチン州などの少数民族地域では、大麻の栽培や売買が野放しにされており、この違法な麻薬取引の多くに政府の高官や警察官が関与しています。そして、大麻が野放しにされることで、多くの少数民族の若者たちが大麻中毒になり死んでいます。
 このように、軍やその関係者は一般市民の生活を犠牲にして搾取をしています。その結果、経済的な不平等が生じているだけでなく、一般市民の基本的な人権の侵害もとても深刻で、日常生活がおびやかされています。

(3)民主化勢力への弾圧―軍事政権と民主化勢力

 第三に、日本の皆さんもよくご存じのとおり、軍事政権による民主化運動への弾圧という問題があります。ビルマ軍は、1962年に政治の中心につき、1988年の民主化デモ後のクーデターで全権を掌握しました。そして、このとき以来20年以上、ビルマは軍事政権のもと、民主主義を否定してきました。国民の声は、政治に一切反映されず、言いたいことを言う表現の自由すらありません。
 私自身、1988年の大規模な民主化デモに参加したのち、身の危険からのがれ日本に亡命してきた者の一人ですが、現在のビルマの状況を見ても、21年前のあの頃と何も変わりません。軍による政治・経済・生活のあらゆる面での支配のもと、国民は人権を侵害され、政治に参加することはもちろん、言いたいことを言う自由すらないのです。その状況が現在も全く変わっていないということは、日本人ジャーナリストの長井さんが殺された、2007年9月のデモの報道からも明らかです。このデモの際には、ビルマの軍事政権にとっても尊敬の対象である僧侶までもが逮捕・拘束されました。このことは、多くのビルマ人にとってもは大きなショックでした。僧侶にまで手を出すことも躊躇しないということから、軍政の姿勢がこれまでよりもさらにかたくなになっていることが見て取れます。
 ビルマの軍事政権は、民主主義を否定し、民主化を求める活動をする人々を弾圧しています。このような軍事政権による弾圧から逃れるため、亡命して日本に来るビルマ人は数多くいます。日本において難民申請をするビルマ人は、現在も減るどころか、年々増えています。近年、日本で難民申請する外国人のうち圧倒的多数がビルマ人であり、難民として認定された人の大多数もビルマ出身の人々です。
 2008年、政府は憲法草案に対する国民投票を行い、圧倒的多数でこの草案が可決されました。しかし、この憲法の内容は、軍による政治の関与を強く残し、しかも、アウン・サン・スー・チーさんをはじめとした民主化勢力を政治から排除するための様々な工夫がなされています。政権は、この憲法に基づき2010年に総選挙が行って「民政移管」すると言っていますが、憲法がまったく民主的なものとは言えない以上、2010年以降の政府が民主的なものに変わる希望は全くありません。実体は今の軍事政権と何も変わらないでしょう。


4.問題解決のために

 (1)ビルマの問題と隣国への影響


 今まで述べたビルマの問題は、ビルマだけの問題なのでしょうか。私は、この問題のアジアの隣国に対する影響の大きさは無視できないと思っています。
第一に、環境破壊や大麻汚染の問題は、アジア地域全体にとって大きな脅威です。環境破壊の影響はビルマ国内にとどまりませんし、大麻の流通も国境を越えて広がっています。
第二に、ビルマの軍事政権が民主主義を否定し、国民を弾圧・迫害し続ける限り、ビルマから政治的理由で隣国へ亡命する人々が後を絶たないでしょう。このような難民の流出の影響は、アジアの中でも特に民主的で経済的にも発展した国である日本において特に大きいです。日本が難民条約の加盟国であり、国内に逃れてき難民に対して一定の法的な責任を負っている以上、ビルマ難民の受け入れは日本にとってこれからも大きな問題であり続けるでしょう。ビルマの問題は、日本にとっては「他人事」とは言えないのです。ビルマの政治情勢が変わらない限り、今後もこのような状況は変わらないでしょう。

(2)日本に期待する役割

 以上をふまえて、私は、日本の国、日本の皆様に、次のようなことをお願いしたいと思います。
 まず、第一に、何よりも、ビルマの問題を「他人事」としてではなく、「自分の問題」として受け止め、関心を持っていただきたいです。そして、解決のために力を貸していただきたいと思います。具体的には、ビルマ問題についての情報を集め、共有する場を設け、さらに、学生や一般の人々に対してその情報を提供するような働きをしていただきたいです。このように、日本人の中でのビルマに対する関心・理解を深める活動を、まず第一に期待しています。
 第二に、日本にいるビルマ人に対して、教育の場を提供してほしいです。せっかく日本にいながらも、生活が苦しいため、日本語が不自由なため、日本の民主主義的なものの考え方や政治の仕組みを勉強する機会が非常に限られています。これは、私たちにとってはとても残念です。日本で生活しているビルマ人難民やその子供たちは、ビルマ民主化された際に母国ビルマのために力を発揮するのみでなく、将来、ビルマと日本をつなぐ架け橋となる存在です。このような人々を日本にとってもひとつの「財産」と考え、将来日本のためにも活躍できるように「投資」して頂きたいのです。制度面、資金面の両方において、在日ビルマ人に対して教育の機会を与えてくださることを、日本の皆さんにお願いしたいと思います。

5.おわりに

 この場にお集まりの皆様は、様々な分野において豊富な知識をお持ちの専門家の皆様です。そのような皆様がビルマの問題に対して関心を持ってくださり、今後ビルマ問題に引き続き関わってくだされば、ビルマの抱える問題の解決のための大きな力となると信じています。
 今後とも、皆様がビルマの問題に対して関心と共感をもって取り組んでくださいますよう、ビルマ出身者のひとりとして、心からお願い申し上げます。どうもありがとうございました。